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歴史人物と印の関係

2010年01月30日
歴史人物の印

個性は印に宿る 〜デザイン性とメッセージ性の融合〜

昔から、多くの武人や儒者、文人、学者、政治家たちによって印は使われてきました。
神事や物を所有している証のため、また時には権威を示すためにも使われ、「印」は当時の日本において、人々にとってとても身近な存在であったようです。
戦国時代の風雲児・織田信長は、有名な「天下布武」という詞を印に刻んでいました。志[こころざし]を多くの人々に伝えながら、自らをも鼓舞して夢の実現を目指したのかもしれません。

江戸時代になると、人々は縁起のよい特別な吉語や戒めの言葉をはじめ、座右の銘や詩文、宗教的な語句、風流な文などを印に刻み、腰に佩帯[はいたい]して吉祥を招こうとしました。
江戸時代の初期に翻刻された『飛鴻堂印譜(ひこうどういんぷ)』に感化を受けた書家や文人の間では、個性を表現するための印がブームになります。

歴史上の人物が使用したユニークな落款

各界で活躍した歴史上の人物も、印を自分の分身として大切にしていました。
下に示すのはほんの一例にすぎませんが、印から人物の個性が伝わってきます。

西郷隆盛の印

西郷 隆盛 (1828〜77年)

薩摩藩の大久保利通、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、「維新の三傑」と称される。敬天愛人 「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふ故、我を愛する心を以て人を愛するなり」を自身の思想としていた。

松尾芭蕉の印

松尾 芭蕉 (1644〜94年)

名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖と呼ばれる。江戸から東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『奥の細道』は有名。

水戸黄門の印

水戸 黄門 (1628〜1700年)

水戸藩第2代藩主、水戸光圀。字は「子龍」。徳川家康の孫に当たる。藩主時代には寺社改革や殉死の禁止、快風丸建造による蝦夷地(後の石狩国)の探検などを行ったほか、後に『大日本史』と呼ばれる修史事業に着手し、古典研究や文化財の保存活動など数々の文化事業を行った。

山岡鉄舟の印

山岡 鐵舟(1836〜88年)

剣・禅・書の達人としても知られる。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。江戸の無血開城の際の思い切った行動力と度量から、西郷をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。

葛飾北斎の印

葛飾 北斎 (1760〜1849年)

日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、化政文化を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。90歳の長寿を全うし、辞世の句は「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というものであった。

宮本武蔵の印

宮本 武蔵 (1584〜1645年)

二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。水墨画家・工芸家としても知られる。著書である『五輪書』は、現代も人生哲学書として、あるいは経営、スポーツなどの指導書としても読まれ、日本のみならず翻訳されて世界各地で愛読され影響を与え続けている。